先日の蛇谷ヶ峰山行時に目にした朽木(くつき)スキー場。
こじんまりした地元スキー場って感じ。
私自身もこのくらいの小規模スキー場が好きだ。
※スノボデビューは余呉高原スキー場(現ヨゴコーゲンリゾートヤップ)
そんな朽木スキー場、いつできたのか?運営はどこなのか?などリサーチしてみると、
ネットに情報が落ちていない。。。
では、本腰(?)をいれていろいろと調べてみることに。
下記にその調査結果を記していく。
✅️登山口でもある朽木スキー場って???
下記の「朽木スキー場」公式サイトをご覧ください。

✅️残念ながら前回の山行時は積雪不足のため、営業はしていませんでした(2025年2月初旬)
「朽木」・「朽木スキー場」で文献を漁るも詳細な情報は皆無に近い。
少ない情報の中、簡単に歴史を振り返る。
✅️出典: 「冬の京都」著者:田中緑紅(出版年1933年(昭和8年))より
『海抜四五〇米余の山頂にあるスキー場で、積雪は比較的多い。稍々狭少(ややきょうしょう)の憾はあるが、スロープの變化(へんか)に富んでいる』
ということは、92年前にはすでに存在していたスキー場といえる。
すごい歴史なのだが、朽木スキー場は海抜四五〇米の山頂にあるわけではない。
スキー場の山頂部は約580m、山頂にあると表現するにはちょっとおかしいかも。
✅️出典: 「冬の京都」著者:田中緑紅(出版年1937年(昭和12年))より
『安曇驛(駅)から自動車で安曇川に沿ひつつ雪路八粁(8km)ばかりゆけば、多角的な山岳美と積雪量の豊富さと、そしてスロープの妙を誇る朽木スキー場に達する。面積十數萬坪(※1)、スロープは緩急變化(変化)の妙があり、伊吹山に匹敵するものがある。山岳スキーの豪快味とゲレンデスキーの輕快味とを共に味はへるスキー場として湖西にその名を謳はれている。積雪は三尺から六尺(0.9m~1.8m)、三月下旬でも滑ることが出来、雪質もよい。賣店、貸スキーもあって便利である。宿泊施設としては地元の民家が一泊三食付八十銭程度(※2)で親切に世話をしてくれる』
※1
10万坪以上20万坪未満(東京ドーム7個分~14個分)
※2
昭和12年の物価情報
・白米(上等)2円73銭
・ガソリン 15銭/L
・公務員初任給 75円
・ビール大ジョッキ 25銭/銭
・1円 100銭
また、同文献にて朽木スキー場に隣接する形で「長尾スキー場」たるものが存在していたと記されている。
聞いたことがないぞ❗️(興味をそそられる)
✅️出典: 「スキー年鑑」著者:全日本スキー聯盟(出版年1936年~1937年)より
昭和十三年一月三十日第四回滋賀縣スキー選手權大會が朽木スキー場で催されたと記されている。
※今から87年前
ということで、90年以上の歴史があるスキー場であることがわかった。
それにしては、現存しているスキー場の施設・リフトなど90年以上も前からあったものとは思えない。
途中、老朽化に伴い改設したあとのものなのか(?)
こんな文献が出てきた。
✅️出典: 「滋賀年鑑」著者:京都新聞滋賀本社(出版年1983年11月)

1982年12月8日の出来事を記したもので、今から43年前のものである。入部谷は現存しているスキー場の位置。リサーチ①に記述されている“朽木スキー場”とは違うものなのか???
あと、村営と書かれているが、今もそうなのか?
さらに情報が希薄な中、文献を読み漁っていく。
✅️出典:「朽木谷学術調査報告書」著者:滋賀自然と文化研究会(出版年1969年(昭和44年))


左)写真が掲載されている。「荒川渓谷北岸にあるスキー場入口」とある。現存の朽木スキー場とは位置が違う!?
右)当時のスキー場までのアクセスの様子。ここでも“荒川”と書かれている。
蛇谷ヶ峰山頂から北側の“朽木荒川”集落には、安曇川が蛇行を繰り返す渓谷 “荒川渓谷”がある。
元々はこの周辺に存在していた「朽木スキー場」。
どういった理由なのか不明ではあるが、移転している可能性がある(というか、移転してる❗️)

✅️出典: 「比良連嶺」著者:角倉太郎氏(出版年1939年(昭和14年))
『安曇驛~下岩瀬間の江若バス沿線には長尾スキー場や朽木スキー場、或いは安曇川の大鮎狩などで有名な景勝地「近江耶馬渓」がある』と記されている。
この文言を、(現)江若バス沿線に置き換えると、やはり蛇谷ヶ峰北側の荒川地域に朽木スキー場があったことを物語っている。
※青マークは、現江若交通のバス路線(バス停)

更に
同文献より、




恐らくこの山道を登り、スキー場(山頂)まで行っていたと考えられる(青点線枠は当時のスキー場範囲ではないか)

国土地理院のサイトより、1965年ごろまでの地形図を確認したが、索道(リフト・ロープウエイ)らしき人工物は確認されず、歩行で山頂まで登り、スキーを楽しむスタイルであったと推測される。

また同文献にも、
入部谷越の峠近くの沢に新しいスキー場開設(現朽木スキー場)の計画があると記されている。
まとめ
長々とリサーチを続けていく中で色々と判明(断定はできないが)することが見つかりました。
それを一度下記にまとめてみる。
1️⃣朽木スキー場は、最古の文献から92年前(昭和8年ごろ)から存在していた。
2️⃣売店、貸しスキー、地元の民家による宿泊施設も完備されていた。
3️⃣リフト・ゴンドラなどの人を運搬するものはなかった(と思われる)
※歩行で山頂まで登るスタイル。
4️⃣場所は、蛇谷ヶ峰の北側 “朽木荒川” 辺りにあった(と思われる)
5️⃣1982年12月8日に入部谷越に(現)朽木スキー場の完工式が催された。
6️⃣(現)朽木スキー場オープンに伴い、(旧)朽木スキー場が閉鎖したのか?
並行して続けていたのか?は不明である。
(現)朽木スキー場がオープンして今年で43年。
(旧)朽木スキー場を知る年代の方がいらっしゃるのであれば、当時の様子をいろいろとご教示いただければ幸いです。
YAMAPやヤマレコでの西峰山・西峰山三角点の山行記録をみるが、スキー場らしき景観は見受けられない。
荒川橋辺りから伸びている登山道(破線)も気になるので、計画をたて一度行ってみることにする。
【出典】
・Google Earth
・Google Map
・朽木スキー場公式サイト
・「冬の京都」著者:田中緑紅
・「スキー年鑑」著者:全日本スキー聯盟
・「滋賀年鑑」著者:京都新聞滋賀本社
・「朽木谷学術調査報告書」著者:滋賀自然と文化研究会
・「比良連嶺」著者:角倉太郎氏
・国土地理院公式サイト